レポートについて考えた
いつものようにレポートが書けず苦しむ夜。
明後日提出なのに大筋さえも決まっていない。
ただ、今回はいつもほどには苦しくないな。
良いことなのか悪いことなのかわからない。
いつもいつも提出締め切り間近になってから本を読み始める。
読み始めるまでは興味が薄かったが、いざ読み始めるともっと時間があればじっくり読むのになと思う。
今までも同じような経験を多くしている。
締め切りに迫られないと動き出せないということは、無意識的にそのことを避けているからなのか?
「無意識的」とかいう言葉を出す以前に、その当の事柄が好きではないのだろうな。
今の自分だったら大学のレポートか。
じゃあ、なぜ全部やめてしまわないかというと、レポートを書くことは自分の人生に必要なことだと考えているから。
「人生」を因数分解すると、大学卒業をすることと、いい会社に入ることと、いい車に乗ることと、広い家に住むこととになるんだろう。
でも自分がレポートを書きたい理由は「必要だから」以外にもあるはずだ。
その科目を履修するときにはいつも、その科目のことをよく知りたいと思っている。
シラバスを読んで、ワクワクしているからこそ履修登録をしようと思う。
レポートに対しても根底にある気持ちは一緒で、レポートの内容が提示されたときには、少しワクワクしてる自分がいる。
難しいor自分になじみのない内容を扱うレポートであればあるほど、「自分の知らないことを知ることができる」と思う。
ただ、その気持ちはレポート内容発表の日から逓減していき、締め切り一週間前が来る頃にはワクワク感はレポートへの憎悪になっている。
提出三日前ころになると
「こんなん書けるわけないやん」「何でこんな難しいレポート出すねん」
という怒りの感情が噴出し、二日前もしくは前日の夜に或る種の開き直りとともに
自分の至らなさを悔いながら文字を打ち込むことになる。
提出期限が迫り、何とか課題を提出し終えると
「しっかり本を読んでいれば、それなりに面白い課題やったんかもな」
などという知識欲の残滓が、締め切りから逃れえた安堵感から顔をのぞかせる。
そして、その知識欲の残滓が次期の履修登録の時期に大輪の花を咲かせ、またしても興味の赴くままに講義を登録するという過ちを繰り返す。
自分は歴史から学んでいないのだろうか。
過去の自分が犯してきた過ちに学んでいないのだろうか。
毎度のように苦しんできたが、何かを得ることはできたのだろうか。
何かを得たと信じたい。