脱スマホ週間 23・24・25日目 6/19・20・21(金・土・日)
脱スマホ週間23・24・25日目の振り返りをする。
結果として、6/19・20・21は、一切Twitter・YouTubeを開かなかった。
さっそく気づいたことを書いていく。
(気づいたこと)
・6/19・20・21にスマホを見た時間は、それぞれ6時間48分、4時間41分、3時間40分だった。
・全体的にスマホ使用時間が長くなっているのは、大学の課題でスマホを使用する英語の課題があったから。
・精神的に落ち着いている。一人でいてもそこまで不安・孤独を感じない。
・今学期始めからずっと放置していた大学の課題を一気に片付けることができた。
・本を読む際に以前より構造的に把握できるようになった気がする。
・感傷的な気分になることは以前と比べてそれほど増えたとも思わないが、なったと気の深さ・もの悲しさが以前よりも増した。
くらいですかね。
精神的に落ち着いている件/不安・孤独をそこまで感じない件について
人が不安・孤独を感じるのは目の前のことに集中できていない時ではないか。
ここ一週間ほど、やり残していた(自分にとっては)大量の課題と格闘した。
人生の意味、生きている意味、のような抽象的な考えをすることは2,3週間前にくらべて少なかったように思う。
夏目漱石の言葉を借りれば「実際的」なことで頭を悩ませていた。
で、どうだったかというと、もちろん課題が進まない、(ゼミのための)レジュメ作成がなかなか進まないという悩み・不安感はあるものの、「生きる意味とは?」のような考えが頭の大半を占めているときに感じるような、無力感を伴うような不安を感じることは少なかったように思う。
「不安」という言葉で何を意味しているのかもう少し明確にした方が話がしやすいのだが今は書かない。とにかく、将来がどうなるか分からないというようなある意味「実際的」な不安は、目の前の具体的な課題に取り組むことでしか解消される方向にはいかないと思う。
孤独感については、たぶんSNSをしていないことが関係している。
以前は孤独感を埋めるためにSNSをしていたが、どれほど効果があったのかわからない。
それよりは、さっきも書いたが目の前の課題、やるべきことにあたる方が
すくなくとも今の自分は孤独感を感じずに済むようだ。
感傷的な気分になった時の「深さ」・ものがなしさが増した
昨日、深夜に自転車をこいでいて、ふと感傷的になった。
感傷的な気分に浸ることはこれまでもよくあったが、その気分の深さ、と言えばいいのか、とにかく、没入感が増した気がした。
刺激の強いもの、興奮作用のあるもの(YouTubeなど)を見る機会がへったことによって、細かいことに対する感度のようなものが多少上がった気がする。
この点は脱スマホ週間における興味深い点だ。
おわり