三大欲求

自己顕示欲・承認欲求

何もやる気が出ない時

 

 

今日は朝起きてweb授業を受けて以降ずっと寝ていて、2時間ほど散歩もしたがそれ以外は基本ベットにいるような状態だ。

 

今日は圧倒的にやる気が出ないので、こういった何もやる気が出ない日をどうすれば乗り切れるかを考えたい。

 

社会人ならある程度無理をしてでも会社に行かないといけないが、学生だと授業が無い日だと延々に家でゴロゴロしたりしてしまいがちだ。

 

なぜ何もやる気が出ないのかと、たぶんなんだろう。

よく言われていることだが身をもって実感している。

 

ただ、もちろんやるべきことはある。

大学の課題・試験勉強・ゼミの準備etc.

 

だから、本来的には暇ではないのに、実質的に暇になっている、そんな状態。

 

では、なぜそんな実質的な暇が生じてしまうかと言うと、当のやるべきことがやりたいことではないからだと思う。

 

基本的に人間というのは、自分の意志で動こうとするときは自然と動ける。

当の活動に取り掛かる段でもスムーズに動き出せるし、長時間同じことをしていても(筋肉痛などの物理的な疲労を除いては)ある程度は集中力をもって取り組んでいける。

 

逆に自分の意志に反していることは、その作業がどれだけ簡単であっても集中力はすぐに切れる。休憩をしてもすぐにまた集中は切れる。

 

そもそも「自分は今集中できているかな」なんて考えてしまっている時点でその人は集中できていない。夜寝る前に「自分は今日一日~に集中して取り組めたかな」と考えている場合もあまり変わらない。

 

そもそも「集中」という概念が頭の中にある時点で、本来的にその人が求めている「集中」状態からは程遠い。

 

ではどうするかだが、たぶん当の活動(試験勉強でも仕事でも部活の練習でも筋トレでも何でもいいが)を始めてから考えていては遅い。もうその時点でどうこうすることは(少なくとも自分の力では)できない。もしくは相当難しい。ここで「始める」と言っているのはその日活動を字始めるという意味ではなく、もう少し長い期間で始めること(仕事の例だったら「入社」が、部活の例だったら「入部」がそのタイミングになることが多いだろう)を指す。

 

つまり「集中できないな」と思ったら、当の活動に集中することは当分の間あきらめるべきだ。その活動に専念できるまでには1か月、半年、一年、もしかするともっと長い時間を要するかもしれないが仕方がない。その期間はただひたすら待つしかない。

待っていれば自然と当の活動に専念できるようになるはずだ。

 

「やる気を出す」「集中する」方法なんてないと思う。

言葉を足すと、「意識して」やる気を出す方法とか「意識して」集中する方法なんてものはない。

 

一見そういう風に見えているものは、実際には本人にとっては無意識レベルでしていることを周囲が勝手に「意識的に集中モード」に入ったと勘違いしているだけだ。

 

分かりやすく集中モードとオフモードを切り替えている人、意識的にそれができると豪語する人の話は眉唾だと思っている。少なくとも意識的には無理だ。

 

「集中」を「夢中」と言い換えてもらえば話が入ってきやすいと思う。

本来求められているのは何かに「夢中」になっている精神状態だと自分は理解している。

 

その「夢中状態」を意識的にコントロールできるというのは矛盾だろう(コントロールと「夢中」は相いれない)。

 

長々と書いてきたが、そろそろまとめる。

 

この記事で考えたいことは、「何もやる気が出ない日をどうすれば乗り切れるか」であった。

 

その答えとしては「好きなだけゴロゴロしろ」となる。

 

多分そういう時期なんだろうし、そういう日なんだろう。

暇でいてもなんら問題ない。

 

暇でいることに疲れて、何かしたいなら動けばいい。

仕事もしたくなければやめればいいと思うが、それで食うに困るなら働けばいい。

 

要は内発的(「自発的」との区別はよくわからないのでしない)であればどう過ごしていてもその時間はその人の身になる。そう考えている。

 

おわり