三大欲求

自己顕示欲・承認欲求

ふと思った、汎用的な能力を意識的に上げるのは難しいのだと。

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あいつ、なんでも器用にこなすよな…


昨夜、真夜中にジョギングをしたながらふと思った。

 

「今まで自分は汎用的な能力を上げよう上げようとしていた。

けれど、実際のところ汎用的な能力が付いたかというとそれは怪しい。

結局、個別具体的な能力を伸ばすことを通してしか能力を上げることはできなくて、

その結果として汎用的な能力が上がるんじゃなかろうか」

 

汎用的な能力。カッコつけた言い方で恐縮だ。

ある分野なり対象なりに限定的に用いることができるだけでなく、あらゆる分野・対象で使える能力という意味でここでの「汎用的」を用いている。

 

汎用的の逆で使っている「個別具体的な能力」とは、例えば暗算をする能力であったり、英単語をたくさん記憶できることだったりする。

 

これまで僕は、汎用的な能力を直接伸ばそうとしていたところがある。

「どんな分野でも使える便利な能力」を伸ばす方法はないものかと考えた結果、論理学を一時期勉強していた。

「全ての学問の基礎には論理があるはずだから、論理学を勉強すれば最強だ」という浅はかな動機から、講義を受けたりしていた。

 

でも、学問としての論理学は、あくまで「論理的に妥当な命題とは何か」を考えるためのものであって「頭を良くしたい」という動機のもとにやるべきものではないと分かった。これをやれば汎用的な能力が上がる、というような便利なものはないのだ。

 

これは文系科目に限った話ではなくて、数学でもそうだろうし、物理学でもそうだろう。数学者が、ある日お金を稼ぎたいと思っても、すぐに大金持ちになれるかと言ったらそんなことはないだろう。その数学者の専門分野において、その人は他の人よりも優れているかもしれないけど、だからと言って、ビジネスの能力があることは別の話だろう。

 

ここまで書いてくると、じゃあ汎用的な能力なんてものは存在しないのか?ということになりそうだけど、無論そんなことはない。さっき例に挙げた数学者の話をすると、彼はお金儲けをしようと思っても、確かにすぐにはお金持ちにはなれないけれど、数学の専門的な訓練を受けたことのない人に比べて何かしらのアドバンテージがあるのは確かだろう。

抽象的にしか言えないけれど、数学について長年考えてきたことで培われたもので、ビジネスに生かせる能力は必ずある。少なくとも0ではない。

 

「統計の考え方をすんなり飲み込めるのでマーケティングが得意になりそう」みたいな考え方は僕が言いたいこととは少し違う。

統計を学んだ人が統計の考え方に精通しているのはある意味当然だ。

それでは、「汎用的」ではない。どちらかというと「個別具体的」な能力だ。

 

僕が言いたいのは、どちらかというと「数学を長年研究していた。その結果知らず知らずのうちに学問的な勘・直感がたまたまビジネスにも応用できた」という話。

汎用的能力というのは「勘」とか「直感」に近いものと言っていい。

 

その勘・直感というのは、~さえすれば身につくといった類のものではないと思う。

だから、僕は汎用的能力・勘・直感を醸成することを主目的として「これさえやれば」という意識のもと何かに取り組むのはやめようと思う。

 

これをやったから汎用的能力が伸びているはず、という意識で何かをすると、その活動に過度の見返りを求めてしまうことになりかねない。論理学からは論理学についての知恵を、数学からは数学の知恵を受け取れればそれで十分。個別の学問なり、活動なりに対して、目の前のことに集中していくことが大事。汎用的な能力が上がるとかは二の次であって、結果的にその能力だ向上していればラッキーと思うようにしたい。

 

おわり