本当に「レポートが書けない」のか?
学期末になるとレポートについて考える時間が増える。
レポートの内容というより、「なんでレポートなんて書くんだろう」
とか「レポートが無かったら勉強できないんかな」など、レポートの存在意義についてグダグダ考えてしまう。そんなこと考えてもレポートは1文字も埋まらないのに。
そんなことを考えながら自分の過去の記事を読んでみると我ながら良く書けてる。
これを読んで救われる学生も少なくないはずだから再掲しておく。
思ったよりいいこと書いてるな。
書きたいことの8割くらいここに書いてあった。
後の2割を書いていく。
今期のレポートの準備をしていてふと思った。
「レポートが書けない人は、その単元について20分話して、と言われてもできないんだろうな」と。
僕はこのアイデアが浮かんだときに、「まさにそうだ」とかなりシックリきた。
レポートが書けないという人は、「レポートが書けない」と言うことで「自分に知識が足りていない」という真の問題に目を向けていない気がする。
「レポートが書けない人」と書いたけど、僕の周りには僕ほどレポートで悩んでいる学生はいないから、あくまで推測。
でも、僕の実感としてはすごくしっくりきた。
「レポートが書けないんです」という言い方をすると、「頭では分かっているけど、文章にするのが苦手だ」という自己イメージを作ることができる。少なくとも自分に対しては。
そんなことをしていても何も得なことはない。
多くの場合「頭では分かっているけど」ではなくて「頭でもわかっていない。授業内容が理解できていない」のだ。
中には、本当に授業内容を理解していて、でももっと良いものを、もっと良いものをと思って書けない人をいると思う。完璧主義的傾向からくるものだ。
僕も長い間レポートを書くのに苦労してきたが、「もっと良いものを、もっと良いものを」とよりよいものを自分は求めているんだ、自分は完璧主義者なんだと思ってきた。
でも、実際は、多少は完璧主義的なところがあるにしても、レポートが書けない大きな原因は授業内容をしっかり理解できていないことにあったと思う。
だからまずは、自分がレポートを書けない理由が完璧主義的傾向によるものなのか、授業を理解できていないことによるものなのかしっかり見極める必要がある。
授業の理解はしっかりできているし、レポートの書き方もわかっている。その上で完璧を目指しすぎてレポートが書けないという人がいるかもしれないけど、そういう人は、とことんまで考えてみてもいいんじゃないかと勝手ながら思う。
しっかり考える材料を持った人が、ウンウン唸りながらいろいろ考えるのは意味があると思う。
授業内容を理解していない上にもかかわらず完璧なレポートを書こうとしてひたすら悩む、という経験もしてみたい人はしてみればいいと思う。結構しんどいけど、自分の力量ってこんなもんか、と思ういい機会にはなると思う。
最後にレポートが大の苦手の僕が救われた一冊を置いておく。
参考になれば幸いです。