「本質を見抜く」とは。
卒論関係の事に集中する気にようやくなり、最近は記事を書くことがなかった。
別に物理的客観的な時間で言うと全然記事を書く時間はあるのだけど、卒論のことで頭がいっぱいで他の事ができないでいる。
卒論のことをするでもなく、かといって何か生産的な事をしているわけでもない時間で
何か他のことができればどれだけいいかなど考えてしまうが、現状自分にはできないことなので、そこは潔く認めて頭が働く時にこうして記事を書きたい。
最近よく考えることに、自分の今までしてきた「努力」らしきものは本当に効果的なものだったのか、というものがある。
YouTubeで東大理Ⅲの方や同じく東大の博士の方、京大の医学部の方の話を聴くのにハマっているのだが、彼らの努力の仕方の共通点として、
・目標が明確になっていること
・目標と自分の現在地と差を意識していること
などがあることに僕は気が付いた。
勉強が凄まじくできる方たちは揃って自分の現在地を客観的に把握することの重要性を説いているなと思った。
翻って自分はどうかと言うと、結構行き当たりばったりでここまで来たなと言う印象がある。
学校の勉強もそうだし、部活にしても、趣味でやっている楽器にしても、その日その日で練習する内容は気分次第で変わってしまうタイプだ。
日ごとに練習メニューを考えること自体は別にいいのだけど、それでメニューの立て方に一貫性が欠けてしまっていたかもしれない点が僕の改善すべき点だ。
自分の現在地を正確に見極め、目標地点到達のために今やるべきことを日々アップグレードできる人のことを僕たちは「本質を見抜ける人」と呼んでいるのだと思う。
その人にしてみれば当たり前のことを継続しているだけなのかもしれないけど、はたから見るとその人は、短期間で物事の急所を押えて、最短距離で目標に迫っているように見えることだろう。
でも、その人がしていることを解剖してみると、実は上に書いたように
①自分の現在地の客観的分析
②目標地点までに足りないもののが何か分析
③現在地から目標地点までに行きつくためにすべきことを割りだす
の3ステップを高速で回しているのだろう。巷でPDCAというものとだいたい同じだろう。
もちろん作業スピードは人それぞれで、そのキャパシティーによって多少は差はできると思う。
でも、現在地と目標地点の分析抜きで作業スピードの速さに頼っている人よりも作業スピードは遅いけど分析をしっかりしている人の方が長い目で見れば結果が出るように思う。
なんというか、前者よりも後者の方が経験から学んで次の行動をより改善しやすいと思うからだ。
方法論は徐々に固まりつつあるので、あとは行動あるのみ。
おわり