自分を客観視する際に生じる困難について
目次
はじめに
先日の記事で、物事を最短距離でマスターするための頭の使い方を見た。
その記事では、以下の①~③のプロセスを高速でまわしていくことを結論として挙げた。
①自分の現在地の客観的把握
②目標地点までに足りないもののが何なのかを分析
③現在地から目標地点までに行きつくためにすべきことを割りだす
本記事では上の①「自分の現在地の客観的把握」のプロセスでどのような困難が生じるか、そしてその困難が生じる理由、対策を考察する。
どのような困難が生じるか
「自分の現在地の客観的把握」の段階で生じる困難・問題は当然「正確に現在地を捉えられないこと」つまり、過大評価・過少評価の類だ。
では、何についての過大評価・過少評価なのかと言う話であるが、それに対して「現在の自分の客観的成果・結果・成績」と答えるだけでは片手落ちという感がある。
思うに、「自分が採用している方法論はどんなものなのか」という観点でも見る必要がある。
つまり、現在地の客観的把握に際して生じている困難には次の2つがある。
⑴量的・質的な成果・結果・成績を把握するのが難しいという意味での困難
⑵自分の採用している方法論がどんなものなのかを認識するのが難しいという意味での困難
自分が挙げている成果・結果・成績を出来るだけ定量的に把握することができれば、まずそれに越したことは無いだろう。
でもそれだけでは不十分で、その成果を出すための方法論が現時点で自分の中で整理されているかどうかも大切だ。
「方法論が整理されている」というのはつまり、『「何をどのくらいやればどんな結果が得られるのか」についてのデータを取り揃えていること』ということ。
物事をマスターしていくという観点でいえば、人がしていないような様々な経験をしてきたという意味での「経験豊富」よりも、「何をどのくらいやればどんな結果が得られるのか」のデータがたくさんあるという意味での「経験豊富」が求められていると言える。
困難が生じる理由とその対策
上記のような困難
⑴量的・質的な成果・結果・成績を把握するのが難しいという意味での困難
⑵自分の採用している方法論がどんなものなのかを認識するのが難しいという意味での困難
がなぜ生じるのか、僕が思うにそれはこれらの分析作業を実行に移した時に結果がなかなか現れず、だんだんと面白くなくなっていくからである。
自分の現状を把握するための指標となるもの、例えば、体重・テストの点数・月収・ブログのアクセス数・歩数・時間など、客観的に自分の立ち位置を知ろうとしたときに使えるものは今のご時世探せば以外とある。
定量的に分析するのが一見難しそうなものでも、目標を要素要素に分解することで客観的に現状を把握することが可能な場合もあるだろう。
そしてもちろん、どうしても客観的に把握することが難しいこと、例えば日毎の体調・気分なども、日々の感想を日記に書き留めるなどで、客観視に近づけることは可能かもしれない。
それでも、人はこれらの分析作業をなかなかできない。
少なくとも僕はやってこなかったし、今でも調子がいい時にちょっとやるくらいだ(だからこの記事を自分のために書いている)。
結局何がこれらの分析から僕を遠ざけているのかと言うと、作業が面倒な割に結果にその作業が反映されるまで時間がかかることなんだと思う。
これらの分析作業をしてもそれ自体では、知識が増えたり、体重が減ったり、キックが上達するわけではない。
なんといってもそこがつらいところだ。
これらの分析作業をしている間は目に見える成長はない。だからこそ僕はこれらの分析を怠り、目の前に転がっている今スグにできる課題に突進してきた。
と言うわけで、以下では自分の怠惰を打ち砕く対策を考えてみたい。
今考えているのは、分析作業をしていてかつ、結果を出している人・カッコいい人を目に焼き付けて、自分もマネしてみるというものである。
僕の場合は、東大・京大のユーチューバーの方で数名スゴいなと関心している方がおり、彼らが分析作業をしている姿を想像しながら自分も頑張る、という方法で何回か分析作業に自分を従事させることに成功している。
あと普通に(?)、スパイとかハッカーとかが僕は好きなので、そういう職業の人って、薄暗い部屋でパソコンの画面に向き合いながら(もしくは無数の写真と新聞記事が貼られ、それらが謎の赤い糸で結ばれた壁の前で腕くみしながら)いろいろと分析しているイメージがあるので、そういうイメージを引っ張り出してやる気を高めるというのもアリかなと思う。
分析作業はそれ自体では楽しいものではないかもしれないし、最初の方はそれらの分析がいつまでたっても結果に表れてこない時期があるかもしれない。
だから、その分析作業自体を楽しめるといいな、というのが現時点で考えられる対応策になる。
おわり