自分の知識を再構成する試み(過去の勉強内容を総点検したい)
このテーマは大学に入学してからかなり長い間漠然と頭の片隅にはあって、でも全くと言っていいほど整理できずにいた。
このままだとこのテーマについての僕の考えは非言語的な、漠然としたイメージの域をいつまでたっても抜け出すことがないので、一度無理にでも言語化してみる。
僕は大学に入ってしばらくした時、もしかしたら2回生(3回生のときだったか?)の時に高校までで習ったことを総点検しておきたいと思った。
「総復習」ではなく「総点検」であることに注意。
総復習というとすべての単元を一からやり直すこと、問題を解けるようになることが目標になるかもしれない。総復習という言葉からは、なんとなく高校までで習ったものの細かい知識を思い出すことが要求されているような感じを受けるので僕はこの言葉を選んでいない。
総点検という言葉を使った僕の意図として、「何を習ったか、何を習っていないか」をはっきりさせたかったというものがある。
「何を習ったか、何を習っていないか」は普通に考えれば、文科省の出している高校までのカリキュラムを参照すれば分かりそうだがそれでは意味はあまりない。
どうしてかと言うと、僕がこの総点検で重視しているのは「自分の言葉で説明する」ことだからだ。
あくまで自分の現時点での理解を確かめたかったので、自分の言葉で説明することを僕は重視している。その結果として、自分はこんなことを今まで習ってきたのか、という発見があればいいなと思っている。
そして、高校までの知識を総点検しようとしたのだけど、結論からいうと結局これと言って何かをしたということはない。少なくとも教科書を読みなおしたり「学びなおし」というようなタイトルのついた本を読むこともほぼなかった。
何故、体系的に学びなおすことをしなかったのか。
理由①モチベーションが続かない。
理由②浅く広くやってもそれは高校までの勉強と同じであり、結局頭に入らないと思ったから。
理由①について。特に書くこともない。高校までの勉強は、目の前にテストや受験などの分かりやすい目標があったから何とかモチベーションを保てていたのだろうと少し寂しい気持ちになった。本来それくらい自分にとってどうでもいいことに膨大な時間を使っていたのか?など考えた。考えても仕方ない。
理由②について。体系的な学びなおしをしなかった理由の8割くらいは理由①で残りの2割くらいが②になる。高校までの勉強がイマイチ血肉化されていない理由として、自分に興味のない事柄を自分の生活に引き付けないままの形で無理やり記憶していたから、というものが考えられた。だから、漠然とではあるけど今までの勉強の仕方と同じ仕方で総点検をしても、また時がたったら忘れるし、知識という点以外でも得られる事は少ないかもしれないと思っていた。
そういう経緯があって、現時点での総点検の試みは日常生活を送る中で今まで習ったことを自然と思い出す機会があった時に、その事柄が自分にとってどいう意味を持っているかを少し考える、というところに落ち着きかけている。
例えば新聞で「円高・円安」という語句を見つけたとする。その時に僕は「たぶんこの語句は中学か高校の公民で習っている。僕はこの語句を見た時にだいたいの意味は分かる。けど、実際に自分の生活でこの言葉を使うイメージはそんなにない。それは、自分が投資だとか為替にそれほど近しい生活を送っていないからだ。じゃあ、自分が将来投資などすることがあればこの言葉は身近な言葉になるのか」みたいなことを出来れば考えるようにしている。実際にはこんなにしっかりとは考えていなけど。
特別意識していることは特にない。いろいろ考えると面倒くさくなってすぐやめてしまうだろうから。それでも強いて気を付けていることがあるとするなら、変にかっこつけて自分の分からない言葉を使って分かった気にならないことくらいである。
先ほど「自分の言葉で説明できるようになりたい」みたいなことを書いたが、結局それは自分が分かってることと分かっていないことを曖昧なままにしておきたくないという想いからきている。
「分からない」ことを無くしてすべて「分かる」ことはできないし、幸福になるためには別に必要なことではないかもしれない。でも自分が何を「分かっていて」何を「分かっていない」かを把握しておくことはいろいろなことを考える上で大事になってくると思う。
分かっていないことが何なのかをだいたい把握できていれば、それを学ぼうと思えるかもしれないし、費用対効果に照らして諦めようと思えるかもしれない。
何かでうまくいかないことがあった時、行き詰っている時に、その原因を探りやすくなるかもしれない。そして、またうまく諦められるようになるかもしれない。
自分が分かっていないことを自覚していないことで、何か上手くいかなかったときに、その原因を自分以外のもの(=他者)に帰すことが僕は一番みっともないことだと思っている。そしてそのような態度は周りの人も不幸にする。自分がうまくいかないことの原因を他者に帰さないためにも、自分について世界について分からないものを分からないとしっかり認識することが必要に思う。