意識の過剰さ、および出口の無さ

 「意識の過剰」という言葉とは、たしか千葉雅也さんの本の中で出会った。

 明確な定義は覚えていないけれど、「特定の目標を持たない『意識』が、コントロールできない状態で、大量にあふれる」というようなニュアンスで使われていたように思う。

 少なくとも僕が、この言葉を借りてきてものを考える時は、上の意味で使わせてもらっている。

 

 大学に入学して以降、だからここ5年半ほど、常に「意識の過剰」と共に生きてきた。

 人と一緒にいて、会話などしているときは、会話の方に意識がある程度集中するために、「意識の過剰」からは、一時的に解放される。

 でも、一人でいる時、特にスマホや読書ができない、自転車や徒歩・バスでの移動中(僕は乗り物酔いをするタイプだからバスではスマホをいじったり読書ができない。電車なら、なんとか本くらいなら読める。スマホは画面が小さくて、電車でもあまり見たくない)は特に意識が過剰になる。

 

 「意識が過剰」なとき、僕の頭には、だいたい同じようなことが浮かんでくる。

 「だいたい同じこと」なのだけど、その場、その場でその内容のメモを取るわけではないから、今回浮かんできた内容が、これまで浮かんできた内容と同じものなのかどうかが分からない。

 ただそれでも、何十回と頭に浮かんできた観念は、さすがに既出であることに気が付く。

 例えば、「人間はいつか死ぬのに、なぜ『前向きに』生きている人がこうもたくさんいるように見えるのだろう。そして、なぜ『前向き』であることが称揚されがちなんだろう→『前向きに』生きている人が遺伝子を残しやすかった(=『前向き』でない人の遺伝子が淘汰された)というだけの話か。別に『前向き』であることが「良い」とか「悪い」と言うわけではなくて、ただ単に「そうなっている」というだけなのだな」というようなことは何度も脳内で再生されている。

 

 他にも例を挙げたいけれど、なかなか浮かんでこない。

 上の例も、「だいたいこんなことを考えていたろうか。なんか違う気もするのだけど」といった感じで、自転車に乗っているときに僕の頭に、無意識的に湧いてくる観念とは少しずれている。

 

 僕としては、それがかなりつらい。

 頭の中に湧き出し続けて、僕を苦しめ(ごく稀に楽しませ)続けている観念を、捉え損ねている喪失感みたいなものがずっとある。

 意識が過剰になり始めたのが4・5年前で、それがひどく、より過剰になったのが3・4年まえだから、その間、僕はずっと自分の意識を十分に捉えられなかったのだと思うとつらくなってくる。

 

 自分の考えていたことに社会的な価値など、ほぼ皆無であることは分かっているけれど、その一方で、僕にとって、僕自身の思考は相当価値がある。

 だから、できるだけ、取りこぼしたくない。

 

 このブログを始めたのも、そんなことを無意識的に考えてのことだったのかもしれない。

 ブログを始めた当初の、スマホ使用禁止などの試みは、今書いた動機から大きく外れるように見えるけれど、スマホに対しての自分の向き合い方を残しておきたかった、という側面も無いわけではない。

 まあ、そんなことはどうだっていい。

 

 以前、とにかく意識が過剰過ぎてしんどい時、もっと文章を書いたり、人と話そうと思った。

 でも、意識が過剰になるのは、一人でいる時、しかも出先だからそうして自分が考えたことを外に出すのは難しかった。

 人に自分の考えていることを話すのは、そもそも気が引ける。

 自分の聴きたい話でもないことを、相手のタイミングで話されるのはしんどいだろう。

 

 文章に残すのは、まだできるかもしれないと思っていたけど、案外それも難しかった。

 出先で考えたことは、家に帰って、ノートに向かう頃には霧散している事がほとんどだった。

 ブログに、湧き出てくる意識をそのまま写そうと思ったこともあることにはあるけれど、「タイトル」があって「本文」がある、というそのスタイルを前にすると、肩に力が入って、普段「意識が過剰」になっているときの「自由連想法」とでも呼ぶべき、奔放さは鳴りを潜めてしまう。

 

 たぶん、ブログみたいな、人の目に触れる媒体に文章を残すということで、何かしら結論っぽいものを書かなくてはという意識がある。

 結論、といういわば「出口」がないから、僕の意識は「過剰」なままで、頭の中に充満し続けているというのに、「出口」がまだ見えていないからと、外に出すことをためらっていては、いつまでたっても「意識の過剰」さは収まってくれない。

 

 そんなことをここ最近、漠然と考えていた。

 それも、別に「考えていた」と呼べるほどのものでもなく、ただ、漠然とそういったイメージが頭の中にあった。

 

 それで、結局どうするのかと言うと、これからは、全然形を成していない状態の、グジャグジャの状態の想い・考えも、もっと適当にここに書き込んでいこうと思う。

 

 たまに「意識高い」内容も書くだろうし、そういう「実生活のための」内容と、「グジャグジャの状態の想い・考え」が同居してしまうのは少し気持ち悪いけど、新しいブログを作るのも面倒だから、当面はここにひとまとめで書いていく事にする。

 

おわり