インスタントな思考、ドーパミンの欠乏

 大学に入学して以降、まとまった思考が少しはできるようになった。

 「なった」とあえて言い切ろう。ここで「できるようになったと思う」なんて書いても何も始まらない。

 でも、すでにこう書くことがどこか言い訳めいている。

 

 高校までの生活において、すぐに「解答」が与えられないものはそれほど多くなかった。

 僕は意識的に、受験勉強の邪魔になりそうな「すぐには解答が与えられないもの」を避けていたし、周りの大人たちもそれに対して何も言わなかったし、それどころか僕の姿勢に肯定的に見える態度も見せてさえいた。

 もちろん彼らの態度に対して何か言うつもりは毛頭ない。僕がこう生きようとしていきてきたのだから。

 

 問題集を解けば、文字通り「解答」で自分の出した答えに〇か×を付けることができたし、シュートを打てばたいてい1秒以内に、ゴールかノーゴールかを知ることができた。

 テストや模試を受けたって、たいてい1か月も待てば結果を知ることができた。

 

 なんか、大層な書き方になってるな。いつもの悪い癖が出ている。

 別に僕の経験なんてわざわざ書かなくても良いのかもしれない。

 要は、入力に対してすぐに出力があるような、それが当たり前の世界で高校までは生きてきたということ。

 

 たぶん、大学入学以降も、その(単純な、でも十分奥の深い)入力ー出力関係の世界だけを見ながら生き行くことは、理論上可能だったとは思う。

 その世界だけを見ていれば、僕には「インスタントな思考」さえあればことたりたろう。

 

 瞬間的にものごとを把握して、瞬時に最善の一手を選択肢実行する。

 その場の「ノリ」に逆らわず、瞬時に相手が喜びそうなことをする・言う。

 「なぜ」を問わない。

 ストレートで自分に向かってきたボールをそのボールが来た方向へ即座に打ち返す。

 

 僕にそもそも「インスタントな思考」、インスタントな世界で生きていくための姿勢、インスタントな世界への適応力があったかは置いておいて、僕はなぜか大学入学後、これだけではダメなのかもしれないと思った。

 インスタントな思考だけではダメなのかもしれないと思った。

 

 もっと「深い」思考があると思ったし、その思考法を身につけたいとも思った。

 大学教授はその多くが、より「深い」思考法を身につけていると思ったし、そんな彼らを見ていると、自分が今まで慣れ親しんんだ「インスタントな思考」がどこか「チャチ」な代物にも思えてきた。

 

 それで、そこからいろいろ考えたりしたけど、結局僕は「インスタントな思考」から抜け出せていないと感じる。

  冒頭に書いたように、「まとまった思考」(=「深い」思考)が以前よりは少しは多くできるようになったと思うが、それでも比重は「インスタントな思考」の方が大きい。

 

 今の僕は、より「深い」思考を手に入れたいという思いも少なからずあるものの、「インスタントな思考」から抜け出せないでいる。

 

 具体的にいうと、ブログで文章を書いたりしていても、割とすぐに答えを求めてしまう。

 「で、結局何が言いたいのだろう」と。

 多分、そう問うこと自体は悪いことではなくて、そう問いながら考えを明確にできるとよい。知らんけど。

 

 自分の場合は、最近気がついたけど、解答が欲しくて焦ってしまう。

 解答が無いまま、宙ぶらりんのまま「放っておく」ことがなかなかできない。

 

 否、「放っておく」ことはできているのだけど、肝心の「一度放置した問題に帰ってくる」という工程がどうも苦手だ。

 「放っておく」のは、文字通り問題を放置すればいいだけだから、割と簡単にできる。「放っておいた」トピックに対して、一定時間の経過の後、また取り組み直す、胆力・体幹、が足りていない。「思考のインナーマッスル」だな。

 

 一度考えたことに再度取り組めないなのは何でだろうと考えてみた。

 それは、一度考えた物事に対して飽きてしまうから。

 じゃあ、「飽きる」って他の言い方をするとどうなるかと言うと、これはつまり、ドーパミンが欠乏しているのだと思う。

 

 ドーパミンとかアドレナリンとかエンドルフィンとか、「脳内物質」(もうこの言葉は陳腐過ぎて使うのがためらわれる)にはいろいろあるけど、とりあえず、「興奮系」の作用を司るものを代表してドーパミンと呼んでおく。

 あってるか知らない。ドーパミンは成功報酬として放出されるというよりかは、その放出によってなんらかのアクションを生物に起こさせるものだから僕が使いたいイメージにはあってるはず。

 

 人及び動物がなんらかの動作をするには、多少なりとも興奮系の脳内物質が放出されているはずで、結局、「飽きる」というのは、その対象を前にしても、このドーパミン(興奮系の脳内物質)が出なくなってしまった状態と言い換えられるな、と。

 

 それで、YouTubeとかTwitterみたいな、入力ー出力が時間的に短いスパンで存在しているものには、ドーパミンが出るけど、いろいろ調べ物をして、公式覚えて、人に質問して、ようやく少し前に進める類の作業(例えば大学の研究)をして、ドーパミンが放出される回路が僕の中ではまだまだ整備されていない。そう思う。

 

 整備されていないというより、「開発されていない」と言う方がシックリくる。

 短いスパンの入力ー出力関係からドーパミンを取り出すことは、多分大多数の人が何の苦もなくできる。その一方で、長いスパンの入力ー出力関係(例:大学の研究、会計の勉強)からドーパミンを取り出すのは、ある程度その作業を繰り返して、ドーパミンの回路をつなげていく必要がある。

 

 ただ、あまりにも入力ー出力関係のスパンが長すぎたり、入力をし続けているのに、出力の方が全くないとなると、たぶん当分はその入力ー出力関係を作動させようとは思えない。

 それよりは、もっと手軽に入力ー出力関係を完成させて、手軽に「報酬」を得られるほうを選ぶはず。

 

 僕の現状はそんな感じだろうな。

 

 入力ー出力関係のスパンが長ければ長いほど、遠大な思考だと思ったりしていたけど、とうとうその活動に向かうためのドーパミンが切れてしまったようだ。

 うーん、でも今に始まった話でもないか。随分前からそういう「カッチリした」勉強に対して、ドーパミンは放出されていなかったかも。

 

 なんか「インスタントな思考」とか書いて、そっちを貶めるような書き方になっていないか心配になってきた。そっちの思考法を貶める気はまったくない。

 結局、両方の思考法が必要だと思う。ただ僕は「インスタント」なほうに偏っていたから、すこしバランスを取る必要があっただけ。

 

おわり