三大欲求

自己顕示欲・承認欲求

岡田斗司夫さんと物事を継続することについて考えてみる。

かなり久しぶりにブログを開き、過去の下書き集を眺め、かなり嫌な気分になった。

 

完結することなく、そのままにされた文章がいくつもあるから。

 

「人生ってそんなもんだよね」なんて、自分の中途半端さをすぐに、「人生」なんていうすごくボンヤリとした、あきらめともとれる文句で、薄めてしまうことも、できる人にはできるのだろう。

 

でも、自分の場合は、それではこの嫌な気分は消えないだろうな。

 

この下書きたちは、かなり昔に書き始めたものばかりで、当時考えていたことと今考えていることをある程度無理やり接続しないとその下書きに続けて書いていくことができないことが苦しい。

 

いっそのこと全部下書きを消してしまう?

 

それは、なんとなく違う気がする。

 

岡田斗司夫さんの「スマートノート」を、僕が続けられるのは、ここに大きな理由がある。

 

①下書き/本番の区別がない。

②①ゆえに、「書きかけ」という状態がない。ノートに書いたものはすべて「完成品」とも言えるし、すべて「下書き」とも呼べる。

③ある日に書いたことを翌日以降に持ち込まない。

④できるだけ毎日書いた方がいいけど、無理はしない。

 

ざっとこんなところだろうか。

①~④までは、全て、岡田斗司夫さん考案の「スマートノート」の、定義もしくはルールから導かれるものだ(もしくは岡田さん自身がルールとして挙げていたものです。読んだのが4か月ほど前で、記憶が少し曖昧なので「導かれるもの」とすこしぼやかしています。気になる人は、「岡田斗司夫『あなたを天才にするスマートノート』」とでも調べてみてください)。

 

多分、岡田さんは、「誰もが続けられるメソッド」を考えるのが相当上手な方だ。

 

他にもたくさんの能力をお持ちだろうが、僕は岡田さんのこの能力にとくに関心している。

 

上から目線みたいで嫌だな。でも、これ以外の表現の仕方が思い浮かばないので許していただきたい。

 

岡田さんは、「スマートノート」の前に「レコーディングダイエット」のアイデアを提出して、それで一躍有名になった感のある人だと思う。

 

その「レコーディングダイエット」のアイデアも、僕はかなり秀逸だと思っている。

 

詳しいことは知らないのだけど、とにかく食べたものをメモしていく、と言うダイエット方法だったはず。

 

僕は今、別にダイエットをしていないけど、もしするとしたら、この方法でするだろうなと思う。それくらい実用性が高いと思う。

 

「スマートノート」と「レコーディングダイエット」も、ともに、大多数の人間が継続して物事に取り組むことを可能にするようルールが作られている。

 

その「ルール」については、上の①~④に書いた。

 

せっかくなので、①~④をもう少し抽象化しておこう。

 

①はそのままかな。「下書き/本番の区別がない」・・・(①-A)。

 

でも、これって、ある重要なファクターが隠されていると思う。

それは「本番が求められる状況ではない」・・・(①-B)ってこと。

 

「下書き」と「本番」を区別しない、というのは、とりもなおさず、その、区別を付けなくていい状況が求められる。実はこれが結構なポイントだと僕は思っている。このことについては後で触れたい。

 

②は、どうだろう。これは、①-Aに含まれているってことでいいか。

 

③。これは、「締め切りがあらかじめ設定されている」・・・(③-A)とでもしておこうか。

 

④はこのままでもいいけど、一応「書く」こと以外の行為にも当てはまるように「書く」の部分だけを言い換えておく。

 

「できるだけ毎日した方がいいけど、無理はしない」・・・(④-A)

 

(①-A)下書き/本番の区別がない

(①-B)本番が求められる状況ではない  (←条件というより前提?)

(③-A)締め切りがあらかじめ設定されている

(④-A)できるだけ毎日した方がいいけど、無理はしない

 

こんな感じか。この4つの条件を書くことができただけでも十分だな。

 

別に、「この4つの条件を満たしていたら、物事は継続できます」とか書くつもりはない。

 

僕の経験上、いくつかの条件を満たしていれば物事が継続できる、というほど、なにかを継続してするというのは単純なものではない。

 

そういう意味では、上の4つは、「物事を継続する」ことの必要条件の案としては機能するかも。

 

ここでおわってもいいのだけど、あとちょっと。

 

上で、

 

「下書き」と「本番」を区別しない、というのは、とりもなおさず、その、区別を付けなくていい状況が求められる。

実はこれが結構なポイントだと僕は思っている。このことについては後で触れたい。

 

と書いた。せっかくなのでこのことについて触れておきたい。

 

僕らは、ともすると、結果を求められる状態でなにかを継続しようと試みる。

 

例えば、何があるかな。

 

僕なんかがリアルに感じられるもので言えば、就職のための資格の勉強とか。

 

就活とか、昇進のためにTOEICの勉強をしている人もたくさんいると思う。

あと、大学受験でいい大学に行きたくて勉強している人とか。

 

こういった状況で、何かを継続(ここだと勉強)をするのって案外難しいのだと思う。

 

僕の主観でしかないのだけど。

 

いや、もちろん、1年や2年くらいであれば、勉強その他の活動を継続してできる人も中にはいるのかもしれない。こういった資格取得のためであったり、志望校合格のためであったりのために。

 

違うな。別に、結果が求められる環境があるのなら、人は何かを継続できるような気がしてきた。

 

わからなくなってきたから、一旦終わりにしよう。

 

おわり