読書記録 『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』著:橘玲
久しぶりに読書記録を書く。
最近は卒論関係の本を読むことが多く、他の本をあまり読んでいなかった
(物理的に読む時間はいくらでもあったことは言うまでもない。ただただ、メンタル的に卒論に「忙しかった」のだ)。
昨日読み終わった本が橘玲さんの『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』幻冬舎(以下『残酷』)だ。
橘玲さんと言えば『マネーロンダリング』(幻冬舎)や『言ってはいけない』(新潮新書)で有名な作家の方だ。
今回読んだ『残酷』は、いろんな人のブログを見ていく中で何回か良書として紹介されていたのでAmazonで購入した。
この本を読む前に同じ作者の『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)を買って読んでいてかなり面白いので、まだ読み切るうちに他の著作に手を出し、あとから読み始めた『残酷』を先に読んだ。
『残酷』は能力開発を是とする自己啓発の類に対する批判の書として書かれた本なので、昨今の自己啓発ブーム(少し前の時代か?)に違和感なりなんなりを感じている人にはお勧めだ。
『残酷』を読んで思ったこと・学んだこと
この本を読んでいて、幸福について書かれている箇所に橘さんの幸福感が垣間見えていて面白いなと思った。
第4章「幸福になれるのか?」の「無限の快楽を作る方法」では、現代社会において快楽を得ることがこれまでの時代に比べて低コストになったこと、さらに脳の仕組みがよりクリアになれば化学的に快楽を再現できる日も近いのではないか、と説かれる。
快楽がそのように手軽に得られる時代になりつつある一方で、著者は快楽の集積が幸福ではないと言い切る。
とはいえ誰もが知っているように、幸福はこうした生理的快感の集積のことではない。麻薬中毒者はすべての快楽を知っているかもしれないが、だからといって彼の人生が幸福だと思うひとはいないだろう。
幸福になるためには、快楽だけでは足りない。いったい何が必要なんだろう。
『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』p. 232
ここでの生理的快楽は美食、セックス、さらにはドラッグの服用で得られる快楽一般を指す。
橘さんは「幸福はこうした生理的快感の集積のことではない」と言い切る。
少なくとも、生理的快楽だけでは幸せになれないと説く。
では、何が幸福を構成するかというと、その答えは「評判」だとされる。
幸福にとって最も大切なのは評判である、についての詳しい話は割愛する。
この話に僕は多少の違和感を覚えた。
というのも、美食・セックス・ドラッグなどで得られる快楽を生理的快感も、社会の中で功績を打ち立て「評判」を得ることで感じる快感も、(橘さんの言葉をかりれば)大脳生理学的に見て大きな違いはないだろうからだ。
本著作でも触れられているように、人が快感を感じるのは脳内で快楽物質であるところのエンドルフィンやドーパミンが放出されることによるが、そのメカニズムは美味しいものを食べた時にも、会社で昇進したときにも、ほとんど同じように働くだろう。
つまり、橘さんが言うところの「生理的快感」と「評判」から得られるところの快感には、物質的に見れば大きな違いはないのではないか、ということだ。
同じ快楽物質が放出されてはいるけど、それらが放出されるプロセスが「ドラッグ」だったのか「会社での昇進」だったのかによって、生まれる幸福感に違いがある、という説明のされ方がなされているように感じた。
もちろんドラッグと昇進から生まれる幸福感をひとまとめにできるとは僕も思わないが、進化生物学というある意味唯物論的な考えに則って論を進める橘さんであるなら、
ドラッグから生まれる快楽と昇進から生まれる快楽が、同じ快楽物質から生じる点で同じ種類の幸福だと論じてもおかしくはない。なのに、そこの詳しい説明がなされていない(僕が詳しい説明を見つけられなかっただけかも)まま、それら二つの快楽から生まれるところの幸福を全く別のものとしているところに違和感を覚えた。
橘さんは「評判」を生理的快楽に還元できないものとして考えているようなので、なぜそう言えるのかを考えてみたい。
おわり