近況報告 コロナ自粛期間の歩みⅡ
前回の記事では、コロナ自粛期間中に勉強面で気が付いた事を書いたけど長くなりそうだったので途中で終わった。
何を書いていたかザックリいうと、勉強するときに「自分の力量を見定めて、今自分は何をすべきなのか、目標を定めた上でことにあたるべき」ということに僕が気が付いたという話だった。
次に「自分の力量を見定める」と言うことは、自分を客観的に見ることだと書いた。
そして、「自分を客観的に見る」とはテストの点数だけで自分の実力を評価することではなく、ここまでどんな準備をしてきて、どれくらいの点数が取れそうで、目標達成に向けて何をするべきかを把握することだと書いた。*1
そしてここからが今回の記事で書きたいことであり自粛期間に理解が深まったことの2点目で、それは「目の前のことに集中できる状態を作ることの重要性」についてだ。
僕はもともと勉強に集中することに対しての苦手意識をそれほど持っていなかった。
高校の時も期末テストの勉強をサボることは多々あったけど、結局受験が近づくにつれて勉強に集中できるようになった。
大学に入ってからは、勉強以外にもっと大事な事があるんじゃないかという漠とした観念が出てきたこととあらゆる分野に精通したいという煩悩により集中が阻害された。
前者は勉強以外のことに意識が向いている状態で、後者は広い意味での勉強には意識が向いているけど目の前の勉強に集中できていない状態。
実際はこんなふうにハッキリ分類できるわけではない。統計の勉強をしているはずなのに、今週末締め切りのギリシア語の課題と3日後のゼミのことに気を取られて、かつバイトのこと恋人のこと将来のことが気になって目の前の事に全然集中できないという状態だ。
とにかく頭の中がグチャグチャで今この瞬間に取り組んでいる事に集中できなかった。
僕はそんな状態が3~4年続いたけど少しづつ目の前のことに集中するためのポイントを見つけつつある。
まず、何かをする際にそれがどんな小さなことであっても、やることを言葉にしておく方がいい。
例えば、「参考書の5ページ目の問5~10をやる」とか「講義動画を三分の一まで見る」とかだ。
定量的な目標を決められればその方が良いかもしれないけれど、別にそこはそんなにこだわらなくてもいい。
「部屋の片づけを気が済むまでやる」みたいな目標でも、今自分が取り組むべきことが明確になるのであれば大丈夫だと思う。
目の前の事に集中するためのポイントととして、時間で区切るのも有効だ。
時間で区切ると、その時間を消化することに意識が言ってしまって能率が下がるからやめた方が良いと考えている人もいるかもしれない。実は僕もそうだった。
でも、実際に時間で区切ることを試してみると、意外とだらけないことが分かった。
逆に、時間の制約がある分、集中できたとさえ思う。
時間で区切ることのメリットとして、活動を始める際の抵抗が小さくなることがあると思う。
一つ目のポイントで上げたような、「5ページをやる」みたいな目標だけだと、その目標が達成できるまで終われないという事が心理的なストレスになって、取り組み始めるのが億劫になる。
その一方、「30分だけやってみる」という目標設定だと、別に集中できてなくても、問題が分からなくても30分経てば、自分との約束は守れるわけなので取り組み始める時の心理的な抵抗が小さくなる。
もちろん、時間を消化することに意識が向いてしまう危険性があるというデメリットはあるかもしれないけど、それくらいやりたくないことは、他のどんな方法でもたぶん集中して取り組むことはできないし、本人がやりたいと思うまで他のことをしておけばいいだろう。
だからもし、時間を消化することに意識が向くとしたらそれは、この方法が悪いというより、自分が今やっている事が本当にしたいことなのか、何故やる必要があるのかなどを考えたほうがいいだろう。
「コロナ自粛期間の歩み」のⅠ・Ⅱ両方のまとめをしておく。
僕がコロナ自粛期間で気が付いた、勉強するときに気を付けておくべきこと。
1.自分の実力を冷静に見定めて、目標は何なのか・そのために今何をすべきなのかを明確にして事に当たるべき。
2.目の前のことに集中するために次のことに気を付けてみる。
①何かをするときに、今からしようとしていることを言葉にしておく。
②何かをするときに、終わりの時間をあらかじめ決めておく。
この2点に気を付けることで頭の中がぐちゃぐちゃという状態は相当改善されるはず。
まずはこの2点を守る。長期的なプランを立てたりするのはその後だ。
おわり
*1:
自分でまとめてみても、学校の先生のようなことを書いてるなという印象がある。
頭の中では「客観的に自分の実力を見定める」と言ったときに、もう少し微妙なニュアンスを込められている気がするのだが文章にするのは難しいものだ。