三大欲求

自己顕示欲・承認欲求

書きそびれていたけど大事なこと

前回の記事では現状を客観的に把握する際に生じる困難とその対策について書いた。

 

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この記事で書いたことを反芻していて、少し内容的に固かったなと思った。

「教科書的」と言えばいいのか、筋道だてて説明することに集中しすぎて結果的に自分の本当に考えていたことから少し離れてしまった感がある。

自分のもともと持っていた感覚として、人が自分のことを客観的に分析できないのは、もっと「人間臭い」理由が根底にある。

前の記事で書いたことを全面的に撤回する気はさらさらなく、あそこに書かれていることも僕の考えている事ではあるが、大事な部分を抜かして書いてしまったなという感が否めないので、長い補足としてこの記事を書く。

 

前回の記事では、人が現状を客観的に分析することに際して困難を感じるのは、簡単に言えば、その作業が面白くないからである、という結論を出した。そして作業を無理にでも楽しむ工夫を見つけることをその一応の対策とした。

「現状分析から遠のいてしまう理由はその行為が面白くないからである」というテーゼは間違っていないけど大事なことが抜けているなと感じる。

「面白くない」には複数の意味がある。前回の記事で僕は「面白くない」を「退屈だ」の意味で使っていた。これはいわば「+(プラス)が無いことからくる面白くなさ」と言える。「面白くない」のもう一つの意味として「-(マイナス)があることからくる面白くなさ」もある。これについては後で見る。

 

まず一つ目の面白くなさについて。これは目に見える結果、自分の成長を確認させてくれるものがすぐに手に入れられない、という意味で「面白くない」。前回の記事で取り上げていたのはこちらの意味での「面白くなさ」だ。

この意味での面白くなさがあるだけで人は自然とその行為から遠ざかっていくことだろう。

でも、遠い未来であったとしても何かしらの利益を得られると思うことさえできれば、人はその面白くなさを我慢して現状把握に勤しむのかもしれない。+がすぐに目に見えて現れなかったとしても、我慢強く取り組めばたいていの場合はそれなりの結果が出る、はずだから。

 

だから、現状の分析を怠ってしまうのは「+(プラス)が無いことからくる面白さ」からだけではないと言える。

そして、こちらの方がより本質的だと思うのだが、人を現状分析から遠ざけているのは面白くなさのもう一つの側面である「-(マイナス)があることからくる面白くなさ」だろう。

「-がある」というのはすごくボンヤリとした言い方だが、ここでのマイナスは主に現状を認識することによる、落胆・恥ずかしさ・悔しさの類だ。

もっと分かりやすく言うと「理想と現実のギャップを感じることからくる精神的苦痛」になる。

 

「何で頭では分かっているのに現状改善のために動き出せないのだろう」。

こういう問いに向き合っていく中で、「+が得られないから」という「もともとなかったものを得られなかったことからくる悔しさ」以上の何かが人を当該行為から遠ざけているのだろうという仮説に至った。そしてその何かは、自分の経験からして「現状を分析することでいかに今の自分が理想からかけ離れたところにいるのかを認識することによる苦痛」であると思われる。

 

どれだけ自己啓発系のハウツーが世の中に出回っても、最終的に「やるかやらないか」のどちらに一歩を踏み出すかは常に各人にかかっている。

そして、その「やるかやらないか」は放っておいたら50%の確率で「やる」、50%の確率で「やらない」になるような類の2択ではない。

放っておいたら基本的に「やらない」の方を無意識に選んでしまう設定になっている。

少なくとも僕のここまでの考えではそうだ。

そしてこの記事で書いたことは、なぜ「やらない」を無意識的に選んでしまうのか、に対しての解答になっている。

「現状の把握」に関して言えるかもしれない事を、行為全般に敷衍するのは妥当だろうか。僕の個人的な見解を書いておくと、たいていの行為に関して「現状の把握」について言える心の動きの特性と同じことが言えるはずだ。

「わざわざ何かをして失敗するくらいならしない方が良い」「すぐに結果が出ないかもしれないし、もしかしたらずっと結果が出ないかもしれないなら最初からしない方が良い」これらはおよそなんにでも当てはまるだろう。

特に「現状の把握」に関しては、そこで得られた認識が「こうありたい自分像」をダイレクトに苦激してくるから厄介だ、ということだ。

 

この記事を書いて少しは頭の中がクリアになった感はある。

だからといって、「やるやらない」の2択から「やる」を選びとるのが今までより楽になるとかはないと思う。

ただ、この記事を書くことすらも「現状の把握」ということで、一歩前に進めたと自分では思っている。

 

おわり