三大欲求

自己顕示欲・承認欲求

不安なこと② 専門性を身に着けている同世代から置いていかれているのでは、と考えてしまう

高校進学時点で私は文系に進学した。大学も文系だ。文系で専門職と言うと、法律系か経営(会計)か心理系などが思い浮かぶ。ただ、私の認識では、どれも専門技術、と言う感じがしない。私にとって、専門技術とは、車のブレーキが作れるとか、航空機の設計ができるとか、諸々のプログラミングが組めるとか、それこそ高等数学を使って何かしらの仕事ができるとかだ。そういった理系の専門技術を身に着けることは、高校進学時点で文系に進んだ自分にとって、望むべくもなかった。そもそも、高校進学時点、大学進学時点ではそれほど深刻に考えていなかった。それが、就職について考える際に、理系の専門職が羨ましく思えてきた。

 

理系の専門職に対して私が羨ましさを感じるのは、それらの職が、「他の人にはできない」という感じを強く感じさせるからだ。つまりは、替えがきかないということ。実際には、理系の専門職であっても、同業他社には、同じような技術者は存在しているだろうから、本当に替えがきかないかというとそういうわけではないだろうけど、他の職種よりも替えがきかない度合いは高いように思う。

 

それで、そういった専門技術を扱う仕事についた同世代が、今日も、少しづつレベルアップしているのだろうかと考えて、自分との差が開いているように感じ、焦る。専門技術のレベルを上げている人がいると、相対的に自分の「市場価値」が下がったように感じるからだろう。

 

別に何かの一つの競争をしているわけでもないのに、勝手に不安になってしまう。究極、アルバイトを一生していっても、死ぬわけではない。アルバイトで求められている「専門性」があればよい。そして、アルバイトの中には、ほとんど専門性が要求されないものもあるから、そういった仕事を探していけば、最悪死なない。つまり、生きていくためだけなら、ほぼ専門性が無くても大丈夫ということ。

 

そう考えると、なぜ専門性に駆り立てられるのだろうと不思議になる。半年くらい前までは、専門性の高い仕事についた方がモテるから、くらいに考えていた。で、今の私は、特別モテたい欲があるわけないのに、専門性をすっぱり諦められているかと言うと怪しい。おそらく、モテる/モテない以前に、専門性のあるなしは、何かしらの安心感につながっているのだろう。だから、私は無意識的にそれを求めている。替えがきかない存在として社会から必要とされるということは、仕事に困らないということだから。

 

ただ、ここでも同じ事が言えて、「仕事に困らない」ことを求めているのなら、別にアルバイトをすればいいだけの話なのだ。とすると、やはり、残るのは、同じ時間働くなら多くのお金が欲しいとか、より高い地位が欲しい、という動機だ。それらがモテにつながるかどうかは置いておいて、本能的にそういった金・地位を求めているということ。

 

結局、私が焦っているのは、人よりもお金を儲けたいとか、高い地位につきたい、凄い人だと思われたい、という気持ちがあるからだ。そういった気持ちは、別に持っていて悪くはないと思う。むしろ、生きていく上で必要だろう。おそらく大事なのは、私は、極論、何かしらの分野の専門技術を身に着けたいというよりも、お金・地位・名誉を欲しているということ。そういった漠然とした欲求を持っているのみだ、ということ。

少なくとも、これまではそうであったということ。

 

これから、もし、何かしらの分野で専門的な仕事がしたいと思ったときは、その時から始めればいいのでは、とも思う。おそらく、その時に同世代の人と比べたり、先にその分野を進んでいる人を見て焦ったり、嫉妬したりするとすれば、それはその分野ですること自体と言うよりも、社会的な成功の方が大事、と感じていると言うことなのかなと思う。もちろん同業者がたくさんいて、それもその人達がその分野に熟達している人ばかりであれば、あとから参入するものには仕事すらないかもしれない。その時私は諦められるのか。本当にその分野で仕事がしたければ、それこそアルバイトをしながらでもやっていけばいいのだな。しんどければ、他の仕事をするか、それこそアルバイトだけで生きていけばいい。アルバイトだけで食べるのも、もちろん相当大変だと言うことは分かる。ただ、たくさんお金を稼ぎたいわけではないのなら、アルバイトで生きていくことも、実は全く間違っていないのでは、と思う。それを無理に正社員にならなければいけない、専門性を身につけなくてはならない、と思ってしまうのはどうかと思う。

 

自分で自分に「負け惜しみを言っているな」と思うことが無い人になりたい。それが一番大事だと思う。

 

以上