文学部廃止論争について思うこと
(だいぶ前、多分2020年の暮れに書きだして途中で止まっていたので、とりあえず最後まで書き終えてアップすることにする)
以下、太文字の箇所が2020年の暮れに書いていた箇所↓
少し前、「文学部廃止」という話がニュース番組で取り上げられていたことがある。
詳しいことは知らいなが、少子化と国の予算の削減(実際にそのような事実があるかは知らないけど多分ある)によって大学運営が困難になるなか、学生を集めにくい学部の筆頭である文学部を廃止にしてしまえという話なんだと理解した。
文学部を廃止したいと思っているのは、大学と国の両方なのかな、というボンヤリとした理解しかできていない。
大学が文学部を廃止しようと思う(別に全部の大学がそう思っているかは知らない。というよりもどれほどの大学がそう思っているのか知らない。多分そういう大学もあるだろうという話)のは、上にも書いたように、実学系の学部の方が学生を呼び込みやすいからだろう。
工学部や法学部が「就職に有利!」みたいな宣伝文句を使いやすい一方で、文学部はそういった売り込み方をするのは難しいだろう。
国が文学部を廃止、もしくはその数を減らしたい動機としては、予算をより「生産性の高い」場所へ使いたいというものが挙げられるだろう。
工学部や医学部(特に生理学?)みたいな分野に予算を回した方が、将来的に国に還元されるものが多そう、というのはなんとなくわかる。
そういった大学および国の方針に対して主に文系の先生方が「そんなことはない!文学部は必要だ!」といって噛みついたというのが、この「文学部廃止論争(僕が勝手にこう呼んでいるだけです)」だ。
自分が何年も研究してきた分野が、国から「不必要」の烙印を押されるのはさぞつらいだろう。反発が起きて当然だ。
彼らの抗議がどういったものだったのか、これもそんなに詳しく知らないのだが、だいたいが「文学部でしている研究にも『生産性』がある」みたいなものだったと思う。
「生産性」という言葉は多分使っていなかった(文学部の先生方ということもあってもう少し難しい言い方をしていたかな)が、言いたいことは結局「工学部や法学部で研究していることと同じくらい文学部でも研究も社会の役に立っている」というものだったと記憶している。
僕はこのニュースを見ていた当時は、文学部関係者の言い分ももっともだと思っていた。
「役に立つ」の射程を10〜20年という時間的に狭いものとして解釈するとすれば、もしくは産業分野にだけ限定するのであれば、文学部はもしかすると「役に立たない」学部なのかもしれない。
けれど、何百年スパンで、またその活用される範囲を人々の精神活動の領域にまでひろげると文学部で扱われている学問も何かしらの「役に立つ」と言えると思った。
だがしかし、最近はその考えを改めつつある。
(ここからは2/27(土)に書いている)
すごい所で書くのを止めてる。
フェルマーばりの寸止めである。
どう改めたのかを考えてみたが、イマイチこれと言った考えは浮かばなかった。
たぶん過去の自分もそこで何を書くのか迷ったから書くのをやめにしたのだろう。
2021年2月現在の僕は文学部の存続について、こうあるべきだみたいな意見は何も持っていないし、文学部の未来についての予想も立てられない。
なんでこの時はこんなことについて考えていたのか、今となっては不思議だ。
たぶん卒論に悩んでいたこともあって、大学教育について何か言いたくなったんだろう。
こういうことを書いていたという記録として残しておく。
またなんか考えが進んだら新しく書く。
おわり