三大欲求

自己顕示欲・承認欲求

不安なこと③ 言いたいことが咄嗟に言えないこと

「不安なこと」と題して文章を書くこと、それ自体を少し負担に始めている。ネガティブな人だと思われるのでは、という自意識。でも、その反面、日常生活においては、このタイトルで文章を書いてから、ごくわずかに調子が上向いてきている気もするので続けて書いていく。

 

言いたいことが言えないというのはかなり苦しい。私は24歳の今まで友人に恵まれ、中高においても、クラスメイトと「うまく」やってきた方だと思う。ただ、ごく一部の「親友」と呼べる人たち以外とのコミュニケーションには、常にある程度の難しさを感じていた。その難しさとは詰まる所なんなのかが分からなかったが、ここ数年で、それらが「言いたいことが咄嗟に言えないこと」に起因するもの、もしくはそれ自体であるのだろうと思うようになった。

 

上下関係がある場合は言わずもがな、対等な人同士の会話においても、言いたいことが上手く言えない気持ち悪さを頻繁に感じる。上手く言えない、と書くと伝え方の巧拙の問題のようだ。それもあるけど、今書きたいのは、言いたいことは思い浮かぶけど、そもそもそれを口に出せないという状況。まあ、言いたいことをそもそも口に出せないというのも、伝え方が非常に下手、と言う意味で伝え方の巧拙の範疇に入るかしれない。

ただ、口に出してから、「もっとこう伝えればよかった」と反省する場合とは、性質が違うということが大事な気がした。つまり、今書いている話は、そもそも言いたいことを口に出していない状況について、ということ。

 

では、言いたいことはあるけれど口をつぐんでしまうというのは、どんなタイミングか。これはあくまで私だけの話かもしれないが、たいていは、その場の「力関係」において、私が相手(複数の場合もあるだろう)よりも下であると私が(勝手に、多くの場合無意識的に)判断した場合だ。力関係、などという言葉が私の語彙の中にあること自体が少し悲しいのだけれど、そう書くと分かりやすいし、自分自身整理しやすいので使う。

 

そもそも、言いたいことが言えないことをなぜ避けたいのかと言うと、その状況が私にとってストレスフルであるからだ。そして、なぜストレスフルかと言うと、私に決定権が無いからなのだと思う。仮に、私がある場の「力関係」において一番力があるとする。その時に、例えばあるツッコミを思いついたとする。でも、そのツッコミは多少シャープで、もしかすると相手を傷つけるかもしれない。その場合、私は、自分の判断で、ツッコミを若干マイルドなものにするかもしれない。でも、もしかすると、ツッコまれる1名を犠牲にして、その場の笑いと自身の「おもしろキャラ」を取るかもしれない。

 

例えば逆に、私がその場において一番力的に弱いとする。そして、一番力の強い者に対して、シャープなツッコミを思いついたとする。さて、その場合、私には、シャープなツッコミを入れる自由、実質的な自由はあるだろうか。少なくとも私の場合は、そこに

は強力な力がはたいているように感じられる。多くの場合、シャープなツッコミはおろか、マイルドなツッコミさえ、私は入れられない。

 

「ツッコミ」とすると、友人間だけでもコミュニケーションに話が限定される感が否めないけど、まあでも、あながち間違っていない。なぜなら、ここでのポイントは、上にも書いたように、「対等な人同士の会話においても」という点だから。

 

で、おそらく、私がなぜ「言いたいことが咄嗟に言えない」ことに対して強いストレスを感じるのかの答えがここにある。すなわち、一見「対等」に見える関係性が実は対等でない様を、私が自身の言葉の出なさによって知らされる気がするからだ。

 

表面的には仲良くしているが、やはり私はこの人に気を使っている。こう感じる時、なぜ私たちは同じ時間をともにしているのだろう、と不思議になる。私が相手に気を使ってしまっている時、おそらく相手も私に気を使われていることに気づき、多少気まづくなっている。そこで「なんか気まずいな!」と言えればいい。ほんとはそう言いたい。言ってしまいたい。でも、なんとなくそう言えない。

 

なんか、嫌なこと書いてるな、自分。言い訳めいたことを書く。

 

「力関係」とか、日常生活で気にすることはほとんど(ほとんどは言い過ぎかも)ない。で、だからこそ、言いたいことが言えない時に、「これは力関係が~」みたいに考えてしまった時のインパクトが強くて悩む。あと、言いたいことが言えない時にストレスを感じるというのは、表面的にではあれ、その相手のことを友達と思いたいと言うこと裏返しである。そんな裏表のある感情で「友達」とか言うなって話かもしれないが、そもそも友達かどうか全く考えない相手、例えば電車でたまたま隣に座った人なら、不満に思ったことがあったとしても、それを言うことが面倒なことにつながりそうなら、何も言わない。どうでもいいっちゃどうでもいいから。だから相手のことを友達だと思っているから、思っていることを言えない時に、なんか違和感があるというか。

 

う~ん、そもそも「友達かどうか」なんて気にして生きていないな、普段。いや、たまに考えてしまっているのか。だから、つまり、「この人は友達かどうか」なんて野暮ったいことを考えたくないのに、「思ったことを思ったように言えない」せいで、「この人は友達ではないのでは」と考えてしまうのが鬱陶しいし、ストレスフルだ。

 

変に続いてしまいそうなので終わる。

 

以上