三大欲求

自己顕示欲・承認欲求

思いつき。ミスチルも単純作業してる

近頃ミスチル(Mr,children)の曲をよく聴く。「HANABI」とか「終わりなき旅」とか、とかとか。人気なだけあるなあ、とか思いながら。

 

で、何曲か聞いている中で、たまたま「彩り」という曲に出会った。

 

この曲を知らない人は、歌詞を検索してみて。一言で紹介すると、この歌は、歯車のための応援歌、くらいになる。社会の歯車として日々勤しむ人々に向けて、その生活にも歯車なりの彩りがあるでしょう、という歌。

 

最初にこの歌を聞いた時に次のように感じた。

 

単純作業から最も遠く離れた人が「単純作業も人のためになってるよ~」って歌ってる。この人は、単純作業を何十年もしている人の気持ちってわかるんかな。

 

まあ、もう聴くなよって話(一応書いておくと、2回くらい聴きなおして、それ以降聴いていない。それでよろしい)。しかもタダで聴かせてもらっておいて(実際はスマホの使用量を払っているからタダではない)。

 

冷静に考えると、ミスチルくらいに成功して、影響力をもっていて、経済的に困っていないからこそ、「単純作業も人のためになってるんよ~」と言える。つまり、それが強がりに聞こえない。経済的に余裕が無くて、それで精神的にも貧しい人が同じ歌を唄ってたらどうか。今それを想像してみて、それはそれで悪くないし、なんなら私はそのバージョンの方が響くかもしれない。と、そう思いつつ、一般的には強がっていると受け取られるだろうとも思う。

 

パートナーのいない男/女が「一人でも楽しい」と言うこと。持っているお金の量が相対的に見て少ない人が「お金が全てじゃない」と言うこと。高校に行っていない人が「勉強だけできても仕方がない」と言うこと。

 

世間では持っていたほうが良いとされているものを、実際に(少なくしか)持たず、それでいて、その当のものを、持っていなくても良い、もしくは持っていない方が良いと言っている時、世間的には「強がり」と受け取られるものと思う。

 

だから、結局多くの人に声を届けられるのはいわゆる「成功者」であって、ミスチル自身が「単純作業」に日々勤しんでいなくても、(”本当に”単純作業に勤しんでいる人の)声を代弁できるのはミスチル(orミスチル的ポジションにいる人たち)でしかない。

 

まあ、だから「歌い手と歌詞のミスマッチ」はしゃーないかな、と。つまり、自分のことを棚上げにしないと何も歌えない、と思っていた。

 

そんなことを考えていた(のが1か月くらい前な)のだけど、今日、ふと「ミスチルがしていることも(ミスチルにとっては)『単純作業』なんじゃね?」と思った。

 

マジで陳腐な発想かもしれないけど、ミュージシャンだろうが、マジシャンだろうが、作家だろうがなんだろうが、結局は市場調査をして、それに合ったモノ・サービスを提供してんだよね、と思った(思ってしまった)。

 

夢が無い話だけど、どれだけ天才肌っぽい人でも、そのままの形で世に認められると言うことは稀(なはず)で、たいていは”整形”にかなりの労力を費やしているはずだ。自分の才能を、才能の無い者どもでも美味しい美味しいと言って食べられるように、調理する。変形させる。整形する。

 

ミスチルもその一人、かは知らない。自分が思っていることをそのまま歌詞にして、思ったまま歌っていたら売れに売れたのかもしれない。それは知らん。

 

けどもしそうじゃないとするなら、音楽の詳しいことを何も知らず雰囲気だけで好き嫌いを語る大衆(それが悪いとは全然思わない。私自身そうだし。むしろ趣味に対して浅い/深いと言ってる奴がうっとうしくて仕方がない)に向けて、自分の才能を”整形”する作業は「単純作業」以外の何物でもないのでは、と思うのだ。

 

なんとな~くのイメージで、私たちは、「ミュージシャンはこんな風に作曲するのかな~♡」みたいに思ってるけど、現実はそんなことないないかもしれない。

 

「かもしれない」ということに気が付けて良かったと思っている。今回書きたかったのはそれだけ。無意識的に、「売れっ子ミュージシャン」という枠にはめて人のことを見ていた、ということ。

 

あと、付け加えるとすると、「応援歌」って何なんだろう、ということ。特に「応援歌」が「売られる」ということはどういうことなのだろう、ということ。

 

特定のミュージシャンを批判したいわけではない。「応援歌」とか「応援ソング」とか言われているもの一般に対して、なんとなく違和感を抱くようになっている。ここ5年くらいかけて。原因は不明。

 

自分たちは、歯車であることを選ばなかった人々が、歯車である人を励ますのは、(上で書いたように、歯車でないからこそそういった歌を唄えて、人に届けられるという点を考慮しても)どこか不自然に思う。

 

私が勝手にそう思っているというだけ。

 

こういったことをさんざん言われ・書かれ、しても歌い続けている人が、”大人”と呼ばれる人たちなのかもしれないなぁ、と思う。

 

以上