三大欲求

自己顕示欲・承認欲求

流す

前にここで文章を書いたのがいつか分からなくなるくらい放置していた。

 

理由は、パソコンの液晶が壊れて新しいパソコンに替えていたから。

別にスマホでもここに書き込めるのだけど、パソコンの画面から打つのと、スマホのキーボードで打つのとは感覚が違う。じっくり書くには、やはり前者のほうがいい。

 

買い替えたパソコンで文字を打つのは、実は今がほぼ最初なのだけど、かなり打ちづらい。パソコンを選ぶときの観点が軽さと大きさくらいしかなかったが、キーボードの打ちやすさってめちゃ大事だ。

 

・「backsapce」キーが会社のより小さい。

・矢印キーが「enter」キーの右斜め下(右手の小指の右斜め下)にあってほしいのに、無い。

 

カッコだけは、一丁前だね。

 

本を捨てられないでいる。かなりたくさんの量。大学1回生の時から買い始めて、去年くらいまで読みもしないのに買い続けていた。7年間くらい買い続けていたことになる。

 

家族には、「本を整理しろ」、「処分しろ」と言われる。自分にとって本は「整理」したり「処分」したりするものではない。ただただ置いておくもの。

 

ただ、そうはいっても、物を置いて置き続けると、たしかに精神的に良くないとも思う。部屋の広さに対しての許容量を超えている。やはり減らすべきだ。

 

一度買った本を「いつか読むかもしれない」と思って置いておく。ずっと死なないつもりでいるからそうしている。あと2年で死ぬとかなら捨てられるのか。それはそれで、あと2年だし置いとこ、となるだろな。ほんと、積み残して積み残して死んでいくな。本に限らず。これだけ多くの人が、気が変にならずに日常生活を社会生活を、それなりにつつがなく送っているのが変な感じがする。それぞれにそれぞれの心の休ませ方、騙し方を知っているのでしょうか。まあ、病んでいる人もたくさんいるだろうし、そもそも、適応できなければ消えていくだけだから気が変になっている人は普段は人の目に触れないのだと思う。さみしいことだなあ、と感じている。自分自身も、ほんとの自分(?)、自分自身が気持ち悪いと感じている自分の側面を、ひた隠しにして生きていくのだろうし、でも人の「その人自身が気持ち悪いと感じているその人の側面」を知りたいとは思う。生活する、というときの、そういう緊張関係が、すべて面倒で、はやく終わらないかなあ、と感じてしまう。「知りたいのに知られたくない」というような微妙さを楽しめる人が、残っていけるように思う。

 

卑怯だな、と我ながら思う。自分の恥部は隠して、人のは見たいという。と、同時に、皆そんなもんだと思う。そして、いつまでこれを続けるのかと思う。「思」ってばかりいて大変だなあ。一昨年、昨年くらいの2年間は、意識があることが苦しさの原因と考えていた。今、そう書いてみて、間違ってないな、と思った。だから今でもその考えに変わりはない。ただ、あまりその考えが意識に上ることがなくなった。違うことで頭が占領されているから。おもに仕事のこと。はたらく。しごと。おしごと。ことばにすればかわいいのに。実際はいろいろとたいへんだ。小学生の低学年くらいから両親が大喧嘩していたが、それは、父のコンプレックスが原因だと小さいながらに感じていた。父はよく学歴についての話をしてくれた。どの大学が良い、とかを聞いた。「旧帝大」という言葉も知った。父の話を聞きながら、別に嫌な気はしていなかった。それさえすれば社会的に認めれられる、というルートがあらかじめ用意されているのは、自分のように外見がいいわけでも、筋肉の質がいいわけでもない人間には、ありがたいことに思えた。ただ、やっぱり、学歴にこれだけこだわっている人(=父)が存在してしまう、ことが恐ろしくもあった。なんでだろうね。結局、ルートに乗れればそれでいいのだけど、"敗け"たときのことを考えて、「こうはなりたくないな」と思ったのだろう。まあとは言いつつ、父のそういった話は、まだ"勝ち負け"の決していない、かつ、割と勝算のあった自分にとっては、総じて自尊心をくすぐる要素を持ってはいた。

 

ただ大学に入ったくらいで、自分も"闘って"いかざるを得ない、ということをリアルに感じ始めて、やっぱ嫌だな、と毎日絶望するようになった。

 

なんでこんなこと書いているのか。父が学歴および役職のヒエラルキーコンプレックスの持ち主で、それを忌み嫌っていた自分は、そのヒエラルキーの中でできるだけ高い位置につこうとして努力したけど、結局空しくなっているという話だ。まとめると。

 

なんか、もうめんどくさいんだよな。全部。いつまで続くんだって感じで。ほんと、役職がなんだとか、年収がなんだとか、ほんとはどうでもいいはずじゃないのか。

ChatGPTが開発されて、嬉しいのはもちろんなんだけど、整形技術とか遺伝子操作技術のほうも、もっと早く発展してほしい。ぶっちゃけ、少なくとも男がラットレースを頑張れるのって、形の良い異性とエッチしたいからでしょう。エッチだけでなくて、「侍らす(はべらす)」場合もあるだろうけど、いってみれば形の良い異性の獲得競争をしているように見える。もちろん自分も、付き合うならできるだけ形の良い人がいい。形の良い異性に、形の悪い自分が差しだせるものはお金しかないと思ったから勉強していたけど、もうやめたいと思っている。

 

中世ヨーロッパで活版技術が発明されて教会が聖書の権威を独占できなくなったように、21世紀でも遺伝子操作技術の発展で、"良い"遺伝子を持っていることの"権威"が突き崩されればよいと思う。というか、そうあるべきだろう。父は、身長が低いことや頭髪が薄いこともコンプレックスに感じていたようだけど、そんなことで悩む人間が減ればいいなと思う。もちろん自分もその一人で、形の良い異性と近づきたいがために、興味もないラットレースに参加しなくてよくなるならそれが一番だ。

 

「愛」とか「正義」とか、あと最近だったらchatGPTが出てきたことで「人間の真価は」みたいなことが言われているけど、まずは、このコンプレックス地獄をどうにかするべきだろう。愛も正義も、人間の真価も、ラットレースをうまく生き抜いた者だけが育める、守れる、得られる、ものにしか見えなくてどれもこれも嘘っぽい。それに、その愛とやらにたどり着くために、性欲を持て余している人間は、どれだけ愛を裏切る必要があるんだろう。まあ、正義、人間の真価とかも同じようなものだと思う。はなから人類全員がたどり着けるかどうかなんて考えもしないで吐かれていることばだと思う。別に人類全員が美男美女になって、IQが150になって、食べ物に困らなくなったとしても、愛とか正義とかがわかるようになるかは知らんけど、スタートラインも、積んでるエンジンも全部違う中で、めっちゃ極端な物差しでしか自分を測ることができないのは不自然だと思う。それだったら、皆能力を上げまくって、その状態で好きにしたらいいやん、って。どうせそういう、今の人間からしたら理想的な状態でも、人間は戦争するかもしれんし、不倫するかもしれんし、足の引っ張り合いをするかもしれんけど、それがようやく「人間の真価」であって、今はまだ「人間の真価」とか言える状況じゃないだろう。chatGPTにやってもらえる仕事は全部やってもらうべきだし、ロボットに代替できるものは代替してもらえばいいし、その時に食べられない人が出るなら、AI税でもロボット税でも導入してベーシックインカムを始めるしかないだろう。なんて言うか、GPTに取って代わられる仕事は、さっさと取って代わられたほうがいい。自分のその一人かも知れないから、さっさと取って代わられたい。そして、仕事がなくなるまでできる仕事を(転々と)していきたい。社会に対して提供できる機能がなくなったときに、なんで個人が責められるのか分からない。というか責めるべきではない。現状「責め」てもいないのかもしれないけど、生かしもしていないのは、まあ間違っているなあと思う。個人ができることをやって、そのうえで社会に「あなたはもう働く必要がありません」と言われること、もうあなたの労働力は必要ありません、と言われることは、まったく悪いことではなくて、むしろ人間はそこを目指してもいいのでは。Twitterおよびネットではどうかあまり詳しくないけど、ベーシックインカムがメディアでもっと取り上げられていいのに。というか、友人とかとももっとそのことについて話をしたい。ま、浮くね。ベーシックインカムの話とか、遺伝子操作の話なんて。いい感じに「流す」ことができた。たまには流していないとオカしくなっちゃうよ、自分。

 

キーボード、もう割と慣れた。けっこうすぐ慣れる。鍵盤の位置を感覚的に掴むのはあれほど難しいのに、キーボードの位置を掴むのは割と簡単。腕と手のひらの付け根のあたりを動かさなくて済むからかな。つまり後者は単に手の移動量が小さい。あと、鍵盤のほうが、それぞれの鍵盤が「無機質」な感じがする。キーボードで「S」と打つとき、次の「A」とか「I」とかと結びついている感じがするけど、「レ」の鍵盤は「レ」の鍵盤単体でそこに存在している。「無機質」とは違うか。イメージも別に関係ないか。ピアノを思い通りに演奏できるというのは、キーボードで思ったように文字を打てるのに近いのかな。「わた」と打った後に、だいたい「し」と打つような、でも時々「がし」とか「あめ」と打つときがあって、でも、気まぐれに「きぢ」と打つときもある。最後の遊びが出るのは「し」、「がし」、「あめ」等のレパートリーをちゃんと知っているから。そんなことが音楽にもあるのかしらね。自分は、「わた」と聞いてもその次に何が来るのか全然わからない。楽譜に「し」と書いてあるから、その通りに「し」と打つ(弾く)と、確かにそこになにかしらの意味があるように聞こえる。自分で意味のある文章を作っていくなど、到底無理だ。

 

最近はしごとでデータベースをよく触る。別に専門的な知識が要るわけじゃなくて自分みたいなITの素人でもできるやつ。ただただ。データベースに検索をかける、みたいなことをしている。データベースって、面白い。難しいけど。これまでも、「すべての情報を網羅している大きなもの」が欲しいと思っていた。人間が作ってきたものの中では、データベースがそれに一番近い。「すべての情報を網羅している大きなもの」は、オカルトというか、都市伝説的な扱いをされる「ワールドレコード」?みたいなのの話を聞いたときに、自分のイメージに一番近いと感じた。この世界の始まりから、すべ手の現象を記録している記録媒体がある...みたいな話。その記録を誰が読むねん、で、その記録を読んでいることはどこに記録されるねん、みたいなツッコミはあるかもしれない。別に本気でそんなものがあるとは思ってない。あればいいなあとは思う。「お天道様が見てるよ」というのも、地獄で閻魔大王が罪業の書かれた帳簿を読みあげる、とかも「ワールドレコード」に似ている。あとの2つは悪い行いを監視されているという意味で一見窮屈なものだけど、それでも人は見られていないよりかは誰かに見られていたいと思う生き物かもしれない。ほんま知らんけど。良い行為とか悪い行為とか、そんなのはどうでもよくて、とにかく「自分」という存在が生まれて消えた、という事実がどこかに残ると何となくうれしい。結局意味を求めている。何かに繋がっている、という感覚が欲しい。そういうことだと思っている。文字を書きつけることが禁止されたら、さらに生きるのが苦しくなるだろうなと感じる。情報とか、事実とか、一方通行的に増えていくだけで、気持ちが悪い。もっと、同じようなものをまとめてほしいし、要らなくなったものを削除してほしい。個人の話をすると幼少期の記憶、小学生の時の記憶は、記憶だけにとどまらず、知恵・知識のようなものもまとめたり、削除できたり、もしくは、自由に取り出せるような場所に圧縮して置いておきたい。削除はそんなにしたくないな。「圧縮して置いておく」が一番近い。「ワールドレコード」は、この世界のシミュレートを初めた存在にとっての「フォルダ」のようなものなのでは?と思ったりする。この世界は、「幸福:不幸=3:7」と名付けられたフォルダかもしれない。とにかく、自分の一生が、1ミリでもこの世界を、クリエータにとって興味深いものにすることに寄与していると嬉しい。この世界を見てクリエータは何を感じるんでしょうか。

 

おわり