三大欲求

自己顕示欲・承認欲求

不安なこと④ ニキビ

「不安なこと③」から間が空いた。

空いてもまた再開すれば何も問題なし。

 

今回も自意識だ。ほぼ、私のブログは自意識に埋め尽くされているから今さら気にしなくてもいいよね、と。

 

さて本題。

 

人が自分の顔に自信がもてなくなる要因はいくつかあると思う。例えば、骨格が気に入らないとか、一重(二重)であるとか、各パーツの配置だとか、云々。

 

私の場合は、上に書いた要因のほかに、ニキビもはいってくる。正確には、ニキビが治っている時期もあるので、ニキビそれ自体もしくは軽くニキビ跡があること、が顔に対しての自信を失わせている。

 

それで、何が不安か。何が不安なんだろう。

 

「不安」と言うと少しずれる気もしてきた。そんなことないか。

漠然と顔にニキビがあるのが嫌なのだけど、なんでだろう。

 

傷(跡)は、たいていの場合隠される。

切り傷には絆創膏を貼るし、より大きな怪我だと包帯を巻いたりする。

 

ニキビは、その点中途半端だ。血が出ている場合もあるかもしれないけど、たいていはひどくても、出血の一歩手前ということが多い。じゃあ目立たないのかというと、そんなわけはなくて、ニキビがそこにあることは別に意識しなくても目には入ってくる。

 

う~ん。こう書いたものの、じゃあ、顔に軽い切り傷があったとして、それがニキビほど嫌かと言うとそうでもない気がしてきた。切り傷の場合ももちろん嫌なんだけど、ニキビ特有のいや~な感じがそこまでないというか。

 

どっちかというと「顔に油性インキで落書きした跡が残っている」みたいなののほうが感覚的に近い。切り傷の方が、油性インキよりも「不可抗力でこうなってしまったんですよ」というメッセージが伝わりやすい気がする。

 

つまり、ニキビって、自己管理のできてなさの代名詞みたいで嫌だってことだと思う。だれが言っているわけでもないのだろうけどさ。

 

今の社会で好まれるワードとして「清潔感」がある。で、その「清潔感」を測るバロメータとして、服装・髪型と並んで「肌のキレイさ」がよくあがっている気がする。なんなら、「肌のキレイさはマスト」と書かれている気がする。

 

こういった文章を見るたびに、私は心のなかで「『私は不潔です』というメッセージを発してしまっているのかもしれない」と、落ち込む。

 

自分の意思である程度なんとかなる服装・髪型と(「髪型」に関しては何とかならない場合も多いと思うけど)肌質を同列に置くのはどうかと思う。

 

いや~、愚痴っぽいな。

 

で、何が不安かと言うと、自分が知らぬ間に「私は不潔です」というメッセージを回りに発信してないかっていう不安と、(良い人ぶって書くとすると)周りに不快感を与えていないかという不安。

 

後者は、人のことを気にしているフリして結局自分が可愛いだけなのかもしれないから堂々とは書けない。

 

本題とはズレるけど、こう書いてきて、「これまで通り皮膚科でもらった薬はちゃんと飲んで(塗って)できるだけニキビができにくくしよう」という意志は固くなっている。こう愚痴みたいなことを書いて「社会の方が変われ」みたいになったら、それはそれで違うなと。

 

私も実際、わざわざ口にしないだけでキレイな肌の方が好きなわけで。

 

おしゃれかどうかとか、ルッキズムとか、ファッションセンスとか、とかとか。そういった局面で、「弱者」とされる人が恐れているのは、「おしゃれさ」、「美」、「ファッションセンス」が無いとみなされることであるし、それと同じくらい、そういったもの(「おしゃれさ」等)に関心が無いとみなされることなのでは、という気がしてきた。

 

つまり、私の場合、顔にニキビがあることによって、不潔であるとみなされることを恐れているし、それと同じくらい「不潔かどうかに関心が無い人なのだ」とみなされることを恐れている。

 

この2つって同じことなのか。同じではない気がするけど。どっちかと言うと後者の方が私にはより怖いことかもしれない。「今日この人は不潔である」という一回限りの事実についての判断ではなくて、「この人は自分が不潔かどうかを気にしない人なんだ」と人格についてまで判断が及んでいる感じがするから。

 

いずれにしても、私がすべきことは(できることは)肌質を改善・維持することでしかないので、そこに専念すべし。社会をどうこうできるわけではなく、というかそもそも社会が悪いわけでもないかもしれないので、まずできることをする。

 

ルッキズムについて云々したくなってきた。どうしようもない問題だとは思う。そのどうしようもなさを延々と書いてみたい気がする。そんなに暗い感じにならずに書けるといいな。

 

以上