三大欲求

自己顕示欲・承認欲求

「好きなこと」がないことについて

 好きなことを仕事にする/しないについてよく耳にする。正直、好きなことを仕事にできるならすればいいし、できないなら泣く泣く好きでもないことでも仕事とするしかない、それだけの話だと思う。

 

 自分の場合は、そもそも何をすることが好きかわからない。もともとは何かをするのが好きだったかもしれないが、その感覚を忘れつつある。どうしてこうも、「好きなことをしろ」という言説があふれかえっているのか。「好きなことなんかなくてもいい」と言ってもらったほうが私の場合は心が軽くなる。だから、自分で書いてしまう。

 

 最近、自己啓発系の本を数冊読んだが、「好きなことをする」という言葉が何度も目に入ってきてしんどかった。その本の作者は、子供の時から物を作ったり、絵をかいたり歌を歌ったりするのが好きだったらしく、大人になった今でもそれらをし続けることを一番に考えて生きている、らしい。好きなことをしているのが一番幸せ、とのこと。

そうなのだろうな、と思う。きっとそうだろう。違う作者の本でも、趣味の話がたくさん書かれていた。私は〇〇をしていると楽しい、と何度も書かれていた記憶がある。

 

 どうして皆さん、私は〇〇が好きだ、と書くのだろう。作家だからか。「私は〇〇が好きだ」と書いている人たちは、ほんとにその〇〇がすきなのだろうか。「私は〇〇が好きだ、と人に知ってもらうことが好きだ」と書いてくれれば私は違った受け取り方をするだろう。きっと、彼らも、「絵を描くこと」とか「歌をうたうこと」とか、仮に名前を付けて呼んでいるだけで、それらの行為のうちの、もっと彼らにしかわからないようなポイントを楽しんでいるし、好きなのだと思う。

 

 ただ、それくらい何かを好きになることが個人的なことだとして、自分には、そのポイントがいまいちピンとこない。そんなに楽しいものかね。何もしないことに勝る状態が今のところない。もちろん、何もしないでただただ時間が過ぎていくこともしんどい。一時的には何もしないことが一番楽。「わざわざ」したいと思えることがない。

「わざわざ」感がすごい。人の話を聞いていて、「わざわざ」そんなことをするのか、と思う。わざわざ絵を描いたり、楽器を弾いたり。それらを続けていけば、たしかに楽しくなってくるのかもしれないと思う。めんどくさい、ということだろう。

 

 めんどくさいの感情以上にしたいことがない。今すぐ死ねるなら死にたい、ということだろうか。何か違うかもしれないし、そうかもしれない。誰も「好きなこと」なんて言葉を使わずに、ただぼーっと生きている世界であれば今より楽に生きられるだろう。実際TVとかでプロスポーツ選手が「皆さんに勇気を与えたい」とか言っているのより、入院などして寝たきりの人が、「別に今の生活に満足ですけど」と言うほうが自分は助けられる気がする。

 

とにかく、人生のベースは食べて、寝て、動いて死ぬだけだと思う。「動いて」は人による。動いてもいいし動かなくてもいい。だから、人生は、食べて、寝て、死ぬだけ。