『殺人出産』村田沙耶香(講談社文庫)
久しぶりに小説を読んだ。かなり濃密な読書体験になった。
表題作の「殺人出産」に関して。
この話では、「10人産めば1人殺すことができる」という制度を作ることで、人口減少に歯止めをかけようとする、近未来(だいたい100年後くらい?)の日本が描かれている。
僕は、この話を読みながら「さすがに設定に無理があるんじゃないだろうか」と思っていた。そしてその感覚はこの話を読み終わっても残っていた。
人間がどこまで理性的になれるとしても、人口減少を止めるために上記のような制度を導入して、明日自分が殺されても誰にも文句を言えない世界に住みたいと思うだろうか。
もし仮にそういった世界になってしまったとしたら、自分ならそのような世界に自分の子どもを誕生させたくないと思うだろう。
道徳と言うものは、あくまで時代・文化に相対的なものだ、と言うことが暗に意味されているんかもしれないが、さすがに「10人産めば1人殺せる」ことが人々に許容されることは無いのではないだろうか。
まず問われるべきなのは、「そこまでして延命するべきと考えられる人類には、本当にそこまでするほどの価値があるのか」と言うことだろう。
不合理な死を、ある一人の人間に強制することと、人類の存続を天秤にかけるだけでも、どちらが絶対重いものだとは言えないはずだ。その、不合理な死を強制される人にとっては、それで世界の終わりなのだから。
いわんや、その死がもっと多くの人に強制的に課せられるとしたとき、僕はそこまでして人類を存続させることの意味がますます分からなくなる。
この本に収められた他の3篇も、21世紀の日本に生きる僕からすると一見おかしい規範を持った社会が描かれていた。「男女3人でつきあうこと(トリプル)が普通の社会」や「人類が不死になったため、自分で死ぬタイミング・方法を決めることが普通になった社会」などがそれである。
個人的には、男女3人で付き合うことは、別に誰に迷惑をかけるわけでもないから、それが普通の社会になってもおかしくないと思ったし、逆に、今「付き合う」と言ったときに、それが2人の関係であることが当然のこととされていることには、絶対そうしないといけないというほどの強い必然性は無いように思った。
おわり